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映画『えんとつ町のプペル』をついに観てしまった

2020年12月27日

映画『えんとつ町のプペル』をついに観てしまった

チームナックスの安田さんがアナザースカイでアビーロードを「渡ってしまった」と言ったことがある。

あのとき自然と涙が溢れていてとても素敵だった。

あんな風に、憧れ続けて、待ち焦がれた出来事が叶ってしまう喜びと怖さと寂しさというのは頻繁に体験できるものではない。

私にとって今日は「そんな日」だった。

映画「えんとつ町のプペル」を観に行ったのだ。

よく言う「待ちに待った」という表現では収まりきらない、今日の待ちに待ったは何かもっと他の言い方ないかなというレベルのものだった。

絵本「えんとつ町のプペル」の出た2016年からか、最初の絵本の出た2009年か、絵本の制作過程を毎日長文に綴ったブログ「西野公論」を齧り付いて読んでいた2007年くらいからか。

とにかく10年以上の歳月は「待ちに待った」では表しきれない。

もちろん「待ちくたびれた」であるわけもない。

「やっと会えたね©️辻仁成」みたいな感じ。

"尊敬と感謝"という映画を観るには少しいびつな精神状態で、ついに映画「えんとつ町のプペル」を観た。観てしまったのだ。

映画が始まって思い出したこと

始まってすぐにこの感じあの時に似てるなと思った。

M1グランプリ2007である。

あのときの西野亮廣さんは間違いなく日本一舞台に立っていた。毎日何本も全国で漫才をやり、独演会をやり、喜劇をやり、先輩たちとトークライブをやり、後輩とライブハウスでオールナイトイベントをやっていた。

絵本を書きながら、テレビをやりながら、なによりも生活の軸をM1に置いて、舞台に出まくっていた。

あの頃から西野亮廣の文章は他と一線を画していた。毎日ブログ「西野公論」は、ほんわか日記みたいなブログ全盛期に真っ黒の背景にえげつないまでのドキュメンタリーを毎日書いていた。

その西野公論を毎日見てたらどれだけ西野さんが1年間この年のM1にかけていたかは、よく知っていた。

だがキングコングはM1で期待される変化球漫才をしない。ダブルボケでもない、猟奇的なキャラクターでもない、度直球の元気な楽しい漫才をする。

それで勝てるのか不安があった。

どの立場で言っているのかと言う話だが、スポーツ観戦と思っていただきたい。あれは全員が監督の気分で見ているエンタメである。

キングコングはこの大一番で「650点」を獲得した。直前に1番ウケていたトータルテンボスの「646点」を抜いて1位になったのだ。私はあの瞬間ゾクゾクした。キングコングの優勝が目の前まできた。

ところが敗者復活戦から勝ち上がったサンドウィッチマンに「651点」で敗れてしまうのである。

たった1点があの1年の西野亮廣の全てをひっくり返したのだ。あの西野亮廣が泣き崩れていた。

私は映画「えんとつ町のプペル」が始まったとき、そんなことを思い出していた。ちゃんと映画に向き合えとしか言いようがない。

家族で映画を観に来て、子供たちもまさかオトンが横で10年以上前のM1グランプリのことを考えているとは想像もつくまい。

そんなことを考えていたら、その後に出版した絵本のことも思い出した。

映画が始まって、ずっと号泣してたという人もいるけど、しばらく余計なことが思い出されて、邪念だらけだった。映画に集中せよ。

映画が始まって他にも思い出したこと

最初の絵本というのは『Dr.インクの星空キネマ』である。

"星空キネマ"ってそれはもはや映画えんとつ町のプペルじゃないかって話なのだが、それこそ西野公論というブログは毎日毎日少しずつ描いていくこの絵本の制作過程の話がほとんどだった。

1ヶ月に1ページくらいのスピードで描かれていく絵本がついに世に出るという2008年の末ごろ、西野さんも「こんな作品が世に出たら、世界がひっくり返るな」とゾワゾワしていた。

日本列島ドンガラガッシャン大作戦というワザとダサい名前をつけていた。

きっと多くのアーティストは「こんな作品が世に出たら世界はひっくり返るな」という気持ちでモノを作っているのだ、と思う。

2009年1月に発売された絵本を手にして、私はゾッとする興奮を覚えた。だがそれはコアなお笑いファンの中でもとりわけキングコング西野亮廣という才能に取り憑かれた人にだけ届くものだった。

どこにもない振り切れたハイクオリティの作品であっても、2500円の絵本が日本列島をひっくり返すことはなかった。ドンガラガッシャンとはならず、最初の絵本はとても静かに「絵本にしてはそこそこ売れた」作品となった。

それでも西野さんは絵本を作り続けた。ブログで何度もこれで絵本は最後にするということも言っていた。そして2作目も3作目もそこそこの売上にしかならなかった。

3作目が世に出る前に30歳でブログを閉鎖し、SNSはやらないと何度も宣言してアーティスト活動にパワーシフトする方針だった。

思い出される西野亮廣さんの偉業の数々

そうして小説を書いたり、脚本を書いたり創ることに明け暮れていた。

テレビは、はねるだけでなく、キングコングを冠したレギュラー番組もあるコトないコトを最後に全て終わり、ガリゲルくらいでしか見れなくなっていた。

作品を世に出すために、独演会のチケットを1000枚手売りし、自己資金でニューヨークの個展をやり、ビジネス書も出した。

するとアーティストの顔よりも、実業家の顔が世の中に先に広まり始めた。

世の中は西野亮廣=広告とマーケティングの人みたいになっていく。

かつてやらないと宣言したSNSを日本一駆使する人になり、クラウドファンディングもオンラインサロンも日本ではもはやルールを作った人となった。

しかしである。

キングコング西野亮廣はエンタメを届けることを生業としている人だ。

広告やマーケティングのひとではない。戦略的に行動する人だけれども、そう言う分野が尋常ではないくらい得意だけれども、それでも本質は芸人で、人を笑わせたい。

だから世界と戦える映画で勝負する、M1でも絵本でも出来なかった大きな挑戦を彼なりの流儀でやってみせる。

興行収入100億円となれば、文句なしのディズニー超えだ。モンスターズインクとかよりもすごいことになる。

そんな日が2月か3月に来るのかな? そこは冷静に構えていたい。100億円はめちゃくちゃざっくり500万人動員。神戸市と名古屋市の人口全員より多いよ。

そんなこと考えてたらもう泣いてた

そんなことを思っていたら、もう泣いていた。

「よーし、この映画で泣くぞー」と泣きにいっての涙ではなく、もう気がついたら泣いていた。

そこからほぼずっと泣いていた。

知っている話、知っている登場人物、見慣れたキャラクター。

でも泣くんだ。自分にはまだそんな感情があったんだなーとしみじみと噛み締める余裕なんてなかった。ただひたすら泣いていた。

それくらいお腹いっぱいの映画だった。無駄のない、緻密な、優しい、丁寧な映画。

内容に文句のつけようなんてない。やりすぎだろというくらいに。

いろんな思い出が蘇るような邪念だらけのフラットな世界で見た映画『えんとつ町のプペル』は傑作だった。

見終わって、今一日中、鬼滅の刃のことしか考えていない息子が「鬼滅よりオモロかったな」と言ったのが自分にとっての最大級のご褒美だった。

西野さんが100億円と公言するのはこの映画で伝えたいことそのモノだから。現在進行形で上を見て夢を語って信じ抜いている。

そんなことやっている人がいて、自分がそれを見る側の人でどうする。

父親ならもっとやれることがあるだろ?

狂うくらいに学べ、家族と大笑いしろ、子どもに勇気を与えろ、いなくなっても影響力のある父親になれ。そんなことを言われた気がした。

やっと会えたこの作品は西野亮廣をまた一つ新しいステージに押し上げると共に、彼を追いかけ続ける自分にまた挑戦したいというエネルギーをくれた。

自分にとってのアビーロードはきっともっと先にあるんだろうと思わせてくれる映画だった。

西野亮廣さん、ありがとう。

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